すふにん小説

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小説らふ2

「確かに、考え事がすべての元凶だとしたら納得がいくわね……」

「そういえば、人間が武器を作ったことや、戦争を行ったのも考え事が原因なのよね」

 僕は、その通りだと頷いた。

「武器も戦争も、人間が考えた妄想の産物だからね」

「妄想って怖い世界なんだね」

 今日のところはこれで終わろうか。他のメンバーも帰ってくる頃合いだろうし。

「ええ」

 このサークルは五人で構成されている。聖書研究会……、とは名ばかりの、普通のサークルである。僕たちにもちろん、信仰なんてない。もし、あるのだとしたら、こうやって真面目に聖書を研究しているくらいのことだけなのだろう。僕たちは、ジーザス・クライストを信じてはいないのだ。だが、僕の家系はキリスト教だ。

 だから、信仰も持たないのに勉強するのはよくないことだ……、といつも家の両親は言ってくる。両親はクリスチャンだから、いつも僕に信仰を強要してくる。だけれど、日本人にいくら信仰を説いても、難しいのと同じ様に、信仰を持ちたくない人間にいくら信仰を説いても無駄なのだ。僕は典型的なノン・クリスチャンなのだろう。

 じゃあ、なんで聖書研究会に入ったのか? と言われれば、それはまさしく妙なことなのだ。やはり、キリスト教の家系なのが理由として強いのだろう。信仰はないが、勉強はしたい。これは果たして、いけないことだろうか……、悪いことではないはずだ。

 なんだかんだ言って、体が覚えてしまっているのかもしれない。悔しいが、半端な知識があるせいで、僕の聖書研究会の中での立場は一際、際立っている。これだけは両親に感謝しなくてはいけないことなのだ。

 さて、話が大分それてしまったが、僕は聖書について一から学び直していた。

「それでは、今回はこれで終わりにします」

 お疲れ様でした、と彼女と僕は別れた。

「それでは|乃夜《ノエル》くん、また来週の今日。ここで会いましょうね」

「はい、また|星羅《せいら》さん……、また会いましょう」

 彼女が今、呼んでくれた名前、乃夜。それが僕の名前だ。……ノエルと書いて乃夜と読む。先ほどご紹介をさせて頂いた、クリスチャンである両親が付けてくれた名前だ。典型的なキラキラネームなのだが、ちゃんと意味がある。僕はクリスマス生まれなのだ。ノエルとはフランス語でクリスマスという意味。それが一番の理由で名付けられた。

 片親がフランス人だということもあった。フランスにはキリスト教徒が多いこともあって、僕の名前は生まれる前から決まっていたのだろう。運命という奴である。

 フランスで生まれて、三歳で日本に来たために日本国籍を持っている。苗字は恥ずかしくて話す気になれない。確か、ミシェルとかいう名前だった気がする。発音こそ違うが、あの、F1レーサーのミハエル・シューマッハと同じ苗字だ。

 ここまで、恵まれていても僕はクリスチャンにはなれない。日本で信仰を持つということ自体、それだけで限りなく苦労が多くなるのだ。信仰を持っているという理由だけで、周りから白い目で見られる。

「私は信仰を持っています」

「ふーん」

 自己紹介をしても、たったこれだけだ。これならいっそ信仰を持っていることを隠していた方がいい。そっちの方が楽に生きられるに決まっているからだ。

 他にも人には言えないこともあってか、僕は生まれ持った信仰を今は捨ててしまっている。

 だが、僕は今こうして聖書を研究しているのだから、不思議なこともあるものだ。知識だけならクリスチャンのそれと変わりがないであろう。

 自己紹介はここまでにして、メンバーの紹介に移ろう。

 うちの大学に所属する聖書研究会のメンバーは五人。先ほど一緒に勉強していた望月聖羅さん。

 この人とは、中学の時、教会学校で出会った。こちらも親がクリスチャンで、親同士の繋がりで知り合いになれたのだ。それがトントン拍子にたまたま同じ大学まで一緒になれたというだけで別に付き合ってはいない。ロングヘアが特徴的で、卵形の顔立ちをしている。彼女も今は、信仰は持っていないはずだ。残りの三人は後で紹介するとして、みんな男子である。もちろん信仰は持っていないし、親がクリスチャンな訳でもない。

 ではなぜ、こんな地味な会に集まったのかというと、それは単に彼女の美貌に注目しただけだ。聖書に興味なんて持っていない。はっきり言って非常に迷惑しているのだが、二人ではサークルは作れないため、仕方なく幽霊部員として置かせておいている。

 でも、僕はあまり気にしてはいない。接する機会もほとんどない訳だし、彼女と二人きりでいられるのは変わらない。それだけで満足していた。

 さて、我が聖書研究会では他にも面白いテーマを取り扱っている。

 都市伝説級の話になる訳だが、ワームホールという時空間を行き来できるタイムトラベル的な存在がすべての教会に眠っているのではないか? というものだ。

 これにはちゃんと根拠がある。携挙というすべてのクリスチャンが救われる日というのがあるらしく、その携挙が患難時代という人類が最も苦しむ時期を過ぎると現れるというものだ。

 そこがどこで出現するか、シンプルに考えるとずばり教会なのではないか? 教会から全ての信者がワープする様に、瞬間移動する。そうして、天上に挙げられるという訳だ。これはあながち間違ってはいないだろう。何しろ、すべての信者が集まるところ=教会、な訳だ。教会にワームホールなるものがあって間違いないと思う訳である。うちの研究会では聖書の他にこのようなことを研究している。