すふにん小説

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お寺と観音様

「音夢、仏間のお掃除をしなさい」

 なんで、お寺の掃除なんか……と思ったが、お母さんに言われて渋々掃除を始めた。

 小さなお寺だけれど、毎回掃除には悪戦苦闘する。普通の家とは違って、お寺は神聖な場所であり、手は抜けないのだ。

 私は三十分かけて掃除を完了させた。

「やっと、終わったのです」

 お母さんに掃除を終えたことの報告を済ませ、私は部屋へと戻って自分のことを考えていた。

「人生って何なのか、まだ分からないのです」

 代々続く、真言宗の家系の娘として、この世に生を受け、無事に何事もなく平安に育ってきた。だけれど私には親には言っていない秘密がある。

 それは観音様とお話ができるということ。

 子供の頃は、夢の中でしか会えなかったが、年齢を重ねていくうちに空想の中で話しができる様になっていった。

 このことは、お父さんにも言ってないことなのだ。こんなことを言うと、引かれてしまうのは目に見えていたし、わざわざ言う必要性も感じなかった。これは私だけの問題なのだから。

『音夢、それは違う。あなたの問題は、あなただけのものではないの。お前のご両親も、私たちも、本当にあなたを大切に思っているのよ』

『はあ……また観音様です? 私のことは放って置いて。いい加減、仏教ばかりの生活は嫌なのです!』

 私は心の中で観音様に返事を返した。余計なお節介。いい加減にして欲しい。子供の頃から暇を見つけては話しかけてくるんだもん。

『な! そんな言い方がありますか。いいですか。あなたのお父さん……弥勒は私にとても従順でしたよ。音夢、私はあなたのためを想って言っているのですよ?』

『だって、また仏教のお話なのでしょう? もうこりごり。一体、仏教の何が役に立つと言うのです』

 すると、観音様は私に説得することを諦めたのか、そのまま黙ってしまった。

 ……。

『あの、怒った? ごめんなさいです。学校の帰りにお寺の掃除をさせられて、気が立っていたのです』

 観音様は分かってくれればいいよと、機嫌を直してくれた。

 でも、仏教の家に生まれたのはいいけれど、これから私に待っているのは修行の毎日なのだ。お父さんは私に仏教ばかりを強要してくる。しかし、何だと言うのだろう。お父さんは、一体私に何を期待しているのだろう?

『考えても見て欲しい。音夢には特別な才能がある。お父さんはそれを見抜いて、お前に修行を付けてくれているんだよ』

 そうやって、頭の考え事を読まないでください!

 才能? 何の才能があると言うのだろうか? こうやって、心に声がすること以外に、私に仏教の取り柄など無いと言うのに。

 私はいつもの日課で仏堂へ行くと静かに座禅を組んだ。

『やっぱり、音夢は可愛いなあ。こうやって、何だかんだ言いながらも、やっぱり座禅を組んでいるんだから』

『何言うのです! 変態!』

『音夢……これはいつもお父さんが考えている心の声だよ』

 ……え?

 私は寒気がした。私のことを可愛いって? いつもはそんなことを言ってくれることはないのに。いや、子供の頃は私のことを可愛がってはくれたけれど。

『そう、本当は今も可愛いとは思ってはいるけれど、口にはしないだけ。音夢が大学生になって、急に思春期になったから、戸惑っているのよ』

 そ、そうなの。私のことを可愛いと思ってくれているんだ。でも、そんなことを向き合って言われたら、何か嫌だな。

『それと、音夢が私と会話できることなんてとっくの昔に気がついてる。音夢のお父さんも昔は私とよくお話をしたものだから』

『それは、本当なのです!?』

『本当だよ。お父さんは若い頃に、大変な試練をその身に受けたんだ。今は平和そのものだから分からないと思うけどねえ』

 知らなかった。お父さんも昔、観音様とお話ができていたなんて。遺伝というやつなのだろうか。何かショックだ。

『お前のお父さんは本当に、面白い男でね。私のことを口説いていたこともあるんだよ。音夢のお母さんに言わせると本当に女たらしでねえ』

 信じられない。

 私は、お父さんが観音様とお話ができるということ以上に、観音様を口説いていたという事実に対して、衝撃を受けていた。

「お父さん、最低なのです!」

「え、何だい? 音夢?」

 あ……。

 心で会話をしていたつもりが、いつの間にか声が出ていたらしい。

「お、お父さんのことが最低って、音夢? そんな……殺生なことを言わないでおくれよ」

 だって……。

「お父さんって、昔、観音様のことを口説いていたって本当なのです? 実は不思議な夢を見てしまって。観音様が言っていたのです」

「……」

 何を言っているんだ? お父さんは固まってしまった。音夢が何を言っているのかが分からない。そんな顔をしていた。

「音夢……どんな夢を見たのかは知らないが、それは違う。確かに観音様は美人だった。でもな、それは……いや、違うんだ。音夢」

「何が違うのよ! お父さん、最低なのです!」

 私はお父さんの頬を引っ叩いた。

「知らないのです!」

 私は怒った振りをしながら、笑顔になっていた。心の中ではお父さんの事を見直していたのだ。そうか……お父さんも、昔。

 私は、仏堂の間にある、観音像に向かって合掌をした。

    fin