すふにん小説

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異類婚姻譚

 長野の諏訪地域にこんな言い伝えがある。
 人格神であり、精霊でもある、神の子が居たとされる民間信仰にもまつわる話だ。
 その名は洩矢神。
 今も諏訪大社に祀られていて、神道における土着神の頂点ともされている。その神が祀られている神社の数は2000カ所にも及ぶ。
 そんな神にも人間の時代があった。縄文時代からミシャクジ様と呼ばれていた彼女は、今でもご神体に、石棒や石皿、自然石なんかがある。
 古代の時代に御左(ミサ)口(グチ)神……。人々から神の子と崇められていた……だが、彼女にも恋愛で悩んだ時期があった。
 そんな今は昔、かつての諏訪に存在した、神の子の異類婚姻譚を紹介しよう。
 ――。
「御左口様……。その様な思い詰めた顔をて居られますと、祭事にも影響が御座いますよ」
「分かっておる。だから、こうして退屈を凌ごうと、花を見ているのではないか」
 私は、いつもの様に花を見ること以外にやることというものがなかった。色の抜けたその顔は、侍従達からは心配されていたに違いない。年端も行かぬ少女であった彼女には、幸せというものがどういうものであるのか知らなかった。
 諏訪の国を統べて立つ。『王』を名乗った私は、国造りの最中であった。
  私は自分に問う。幸せとは「知らぬが丸か、掴めないものなのか」
 幸せとは果たして、何だろう。私が生きている価値などはあるのか。人々は確かに私を崇めることで幸せそうな様子に見える。
 だが、私の幸せとは一体どこにあるのか。
 何を果たしたら、私の満足は生まれるのか。
 いつもの様に祭事を行っていた時に、その事件はやってきた。
「御左口様、水をお持ちした」
 見慣れない男だ。いつもの従者はどうしたのか?
「ここに置いておくぞ」
 その男は、態度からして生意気そうに見えた。
「おい、そこの、おまえ。妙に馴れ馴れしいぞ。私に何か含むところでもあるのか」
  そう言うと、その男は特に悪びれる様子も見せずに、こう言い放った。
「そんなことはない。俺も急に頼みごとをされて、仕方なくやってきただけだ。おまえに対して、何かやましいことがある訳ではない」
「おまえ、私を誰だと思っている!」
 王に対して、無礼な……そう言うとその男はぽつりとこんなことを言った。
「身分の違いが何だと言うのだ」
 ……。
 私は、驚いた衝撃で、胸の奥に今まで感じたことのない感情が浮かんだ。
「中々、言う」
「おまえはどこの者だ」
 私はいつの間にか、その男に対してあり得ない言葉を口走っていた。
「隣の国から来た。俺は、よそ者だから周りから嫌われているのさ。頼れる者もいないのでこうして、愚痴が出てしまった。すまないと思っている」
「そうか、なら友もいないのか」
 私と一緒だな。そう口が開こうとして自重した。
 何を考えているんだ、私は。
「ともかく、今日のところは帰れ。侍従達にこんなところを見られたら、たまったものではない」
「分かりました」
 そして、その男は家から出て行った。
 そうか、よそ者だから礼儀を知らなんだ。これは、私の方が悪かったな。
 今度、会ったら非礼を詫びておくことにしよう。
 さて……貯まった仕事を片付けないとな。
 私は貯まった業務に手を付けていく。
 今年は干ばつがひどいな。これでは水田に多大な影響があるだろう。雨が降る方法でもあれば良いのだが。
 私はこのところ雨が降らないことに対して悩んでいた。あの大蛇の仕業であろうか。
「あの大蛇は、やること成すこと、災いしか運んでこないな」
 どうしたものか……。大蛇を封じる祭り事でもしてみようか。
 しばらくすると、従者達が帰って来た。
「御左口様、只今帰りました。私達が居ない間に何か至らないことはありませんでしたか?」
「特にない」
 従者達はその言葉を聞くと、いつもの様に敬礼をして、一歩下がり、席に着いた。
「して……あの男は」
「はっ?」
 いや、何でもないとしらを切った私は、従者達に大蛇についての相談をした。
「あの大蛇に封じるのに、何か良い方法は見つかったか」
「いえ、ありません。大蛇とは、干ばつを運んで来た、あの厄災のことですね? 何しろ見えない存在について私たちは、何か行える様な手立てが一切、御座いません」
「そうか……これでは、日が照る余り、今年の稲穂は全滅だ。来年に食する物が何もなくなり、国は滅んでしまう」
「それではまた、雨が降る様に祭りをなさったらいかかでしょうか」
「祭りか……どの様な祭りをしたらいいか」
「この際に、大祝となるべく選んだ者を、柊またはカエデの木のある鶏冠社の石の上に立たせ、大祝の装束を着せましょう」
「大祝となる男は誰か適任が居るか」
「最近、この国に新しく来た、若い男が居ります。その者を使いましょう」
「うん……その男とは、いや、何でもない」

「なら、神勅を命ずる」
「我に体なし、祝を以て体とす」
「はっ」
 そうして、私の国はその新参者を使い、祭りをすることとなった。
  ――。
 祭りの日、人々は雨の降らないことを心配して、大勢が集まっていた。
「最近は、雨が降らないばかりで、全く稲が育たない。これでは、うちの国も終わりかのう……」
「そう言うな。きっと御左口様が何とかしてくださるさ」
 ああ、そうだといいな……と国の民の声が聞こえて来た。
 全く……どれだけ私に期待を掛けるのか。私にどれだけのものを望んでいるのだ。
 やがて、新参者の男が祭り場に入って来た。
 私は男に話しかけた。
「雨が降らない原因は大蛇の災いなのだ。お前が頑張る必要はない。だからお前は何もしなくていい。私が、祈祷によって大蛇を退けてみせるから」
 そう言うと、男は安心したのか、少しばかりの笑顔を作る。
 そして、私が祈祷を始めると、そこには国中の人間が祈りを捧げていた。
「吐菩加身依身多女(とほかみ ゑみため)」「寒言(かんごん)神(しん)尊利(そんり)根(こん)陀見(だけん)」「波羅伊玉伊喜(はらひたまひき)余目(よめ)出(た)給(まえ)」
 三種祓詞が終わると、しばらくして曇天が東の空からやって来た。
「おお! 雲だ!」
 一人の国の民が叫んだ。
 雷の音がする。果たして、祈祷に大蛇が怒っているのだろうか。
「おのれ大蛇の奴め……愚か者が。こうして稲作を台無しにして何が楽しい。引き下がれ、大蛇!」
 雷雲はますます激しくなり、民家に襲いかかろうとして、その音を鳴らす。
「この……大蛇!」
 私がまた叫ぼうとした、その刹那。意外な出来事が起こった。
「やるなら俺をやれ!」
 男がそう、叫んだ瞬間、国中の者がそれに注目した。
「俺の命ならやる! だからこれ以上、災いを作るな! 退け大蛇」
 すると、しばらく静寂が訪れた。それは本当か? との声が聞こえるかの様だった。
 男は誓う様にして、両手を空に挙げた。実際には雨が降る様に祈ったつもりなのだろう。だが、その時、奇跡が起こった。
「雨だ……」
 そこに、見学していた民がぽつりと言った。
「雨が降って来たぞ!」
 また、御左口様が奇跡を起こして下さったぞ! と歓声が挙がった。
 私は、地べたに座り込んだ。あのまま、雷雲が続けば、民家に深刻な被害があっただろう。なぜ、大蛇は急に大人しくなったのか? 私が不思議に思っていると、侍従達がやって来た。
「御左口様……立ち上がれますか? 今、肩を貸します。どうか、ご無礼をお許しください」
 腰の抜けた私を、侍従達が担いでいった。全く、情けない姿だ。
 私は家に入ると、倒れ込む様に寝てしまった。
 次の日、私は国中から喝采を浴びていた。御左口様がまた国の危機を救って下さった……と。
 王に万歳!
 ……。
 私は侍従に話しかけた。
「あの男はどこにいる?」
「はっ、只今お呼び致します」
 しばらくすると、男がやって来た。
「今回のことは、お前の助けが無ければ、国は滅んでいたやも知れぬ。感謝する。して、お前の名前は何と言う?」
「俺は、矢作と言う」
「そうか、矢作……この前のことは済まなかった。だが、どうしてあんなことをする気になったのだ? 訳を聞かせてくれ」
 男は頭を掻きながら言った。
「大したことではないが……こんな身よりのない、よそ者に、どう役に立てるのかを考えていたら、ああいう行動が出てしまった。ただそれだけなんだ」
「そうか、だが命は大切にすることだ」
「だが、お前が国の者を助けようとしたこと、忘れない」
 私は、この男に同情めいたものを感じ、値踏みするかの様にして矢作を見つめた。
「私と婚姻を結ぶつもりはないか?」
「はっ?」
「いや、だから……」
「私の伴侶になって欲しいと言った」
 男は一瞬、沈黙して、顔を地面に落とし、何かを呟いていた。
「それは願ってもないこと。分かりました。これから俺は御左口様と契りを結びます」
 この話は国中を挙げて噂となった。
「御左口様が結婚するらしい」
「お相手は、よそ者の、あの祭りの主役となった男だとか」
「とんでもない話だ。御左口様は一体何を考えておられるのか」
「一介のよそ者に、御左口様の婿など務まると思っているのか」
 だが、王の熱は収まることを知らず、二人は強引に結婚を行ってしまった。
「全く、どうなっても知らんぞ」
「人が神と結婚など出来るものか」
「まあまあ、御左口様にもお考えというものがあるのだろう。ここは、任せてみたらいいではないか」
 言葉を躊躇う侍従達ではあったが、汗に溺れるばかりで何も言うことは出来なかった。
 国中を挙げての、結婚式が終わり、二人は夫婦となった。
 生死を統計と見る、神の願いは叶った。
 だが、幸せには遠く及ばない……ただ、退屈な時だけが過ぎていった。
 やがて、凍った幸せに雪解けの季節が来た。
 ――。
「矢作は、また侍従達と遊んでいるのか?」
「はい、国中を廻っているそうです」
「そうか、だが私の旦那には相応しいだろう。放って置いてやるといい」
「はっ」
 矢作の奴め、だが、やるではないか。私の男ならそのくらいでなくてはいかんな。
 だが……その男を書に記す訳にはいかない。
 到底、神には及ばぬただの人なのだから。
  だけれど、私は初めて『幸せ』を知った。
 私の婿としては、今一つかも知れないが、でもそれは、ゆっくりと育てていければよいのだ。
「矢作様、お帰りなさいませ」
「ただいま、御左口。今日はもう疲れたから、このまま寝るぞ」
「構うことはない。おやすみ、矢作」
 ――結末を憂う人の目を裏切るようにして染まる赤い頬。
 旦那慕う、その瞳は年相応の少女そのものだった。
 一途な愛と溺れる彼女はまるで人のようだとの噂が国中を駆け巡る。
 けれど、いつか途絶えるのなら良い。
 どうかその純情をどうか最後まで、強く持って欲しい。
 それが国中の願いであった。
 色付く世界はやがて、彼女を盲目へと導いた。
 誰もが認めていた。
 彼女は有頂天になっている……と。
「どうしたものか……御左口様は人が変わった様になられてしまった。このままではこの国も、今度こそ終わりかのう」
「俺はもうこんな国はご免だ」
「儂もだ、ここは隣の国へと行って、この国の内情を話すのはどうだ?」
「それはいいな!」
 数人の民が、国を出て行ったとの報告が、耳に入ったが、私は聞く耳を持たなかった。
「矢作……数人の民が出て行ったそうだ。何か手段を考えなければいけない。どうしたらいいか」
「そんなもの放っておけばいい。この国に飽きたのだろう。そんな裏切り者は二度とこの国に入れるな」
「そうか、それもそうだな。矢作の言うとおりにしよう」
 そして、時は許さぬと云うばかりに事は起こる。
 隣の国が戦争を仕掛けて来たという噂が飛び込んで来た。
「御左口様、いよいよ戦で御座います! 隣の国が戦を仕掛けて来ました。我が国としては、いかがなされますか?」
「こんな時に……もうよい! 矢作を呼べ」
「はっ」
 矢作は既に戦の準備を整えていた。
「頼むぞ、矢作。此度の戦、どうか私に勝利の報告を聞かせて欲しい」
「分かっている。必ず勝って来てみせる」
 併合唱える彼の国へ抗うことは簡単だった。
 国中で憂う人の顔が浮かぶ。
 民に後ろめたさがあったのは確かだ。
 だが、もはや何も考えられず、私はただ、矢作の無事を祈っていた。
「こんな時に祭りが出来ぬとは」
 戦の準備で国中が大慌てとなり、祭事どころではなくなったのだ。
 勝って来るとは言ったが、矢作は戻ってくるとは言わなかった。
 だが、国を護り往くその背中は、ただ頼もしく見えた。
 そして数日が経ち、不安の中、報せが入って来た。
 受けたその報せは……。
 戦には勝った。
 ……だが。
 ――彼は戦により死んだ……と。